体罰問題

以前から取り上げようと思っていたテーマ

体罰問題について書いていく

あくまで個人的な見解であることを念頭に置いて読み進めて欲しい

体罰問題は今後もなくならない

最初に結論を述べると、体罰問題は今後も無くならないと思っている。もちろん無くなって欲しいし、体罰を肯定する考えは全くない。だが、現状を見渡して考えるとそんな簡単に無くならないと思っている

とある高校の部活で体罰があって顧問の先生が…というニュースが取り上げられていて、コメンテーターが色々と意見を言ってた。

「今の時代の子どもは厳しさだけじゃ着いてこない」

という発言があったんだけど、そんなことはみんなが分かっているはず。指導者という立場を10年以上やっている人なら当たり前に感じることだ。

そんなことは分かっているはず。なのになぜ体罰問題は無くならないのか。

体罰問題がなくならない理由を探る前に、なんで体罰が起きるのかを考えていく。

良かれと思ってやっている

親御さんに「ウチの子には厳しくして下さいね!」と言われることがある。そう言われると一瞬「ん?」となるし、厳しさとは何ぞやってなる。最近は減ったけど、以前はよく言われていた。

まず、厳しいと怖いは別で混同してはいけない。権力や圧力で恐怖を感じさせるような振る舞いは必要ではない。それは指導ではなくただの強制的な命令である。

この会話から推測できるのは、親世代では厳しい指導をされてきた方が一定数以上いるということ。そして、厳しくすることが成長や強化に繋がると思い込んでいる場合があるということ。

自分の学生時代も先生に打たれたり蹴られたりした経験がある。自分は片手で足りるが、やらかす奴は食らってたような気がする。ビンタ打たれて鼓膜が破れた人もいた。

「お父さん(お母さん)たちの頃はもっと厳しかったよ!全然頑張りが足りない!」みたいなことを言われた子供もいるんじゃないだろうか。いわゆる体育会系で自分がバリバリやってたと思ってる大人は、厳しい練習を乗り越えることが美学のようなスポ根魂が入っているのではと思う。

厳しく、追い込む、強化する。間違っていないようにも聞こえる。なんのために?

それはもちろん勝つためなんだろう。

チームの勝利のため、個人の成績アップのためには厳しい練習が必要で、苦しさを乗り越えた先に明るい未来がある。そんな思考の行き過ぎた延長上に体罰、暴言がある。

つまり、原点に戻ればそういった厳しさは選手のため、チームのためと思ってやっていて、良いことと思ってやっている。体罰をしたくてしてる人の方が圧倒的に少ないと思う。

暴力のための体罰ではなくて、正解と思っている厳しい指導の延長上のこと、だからこの問題は根深い。

上下関係とは何なのか

ここで一つ問いたい。上下関係とは何だろう?

先輩と後輩、生徒と先生、親と子供、こういった人間関係において上下関係とは必要なのか。数か月、数年早く生まれただけで、いえば年齢で上下をつけるという考えに違和感がある。生まれたのが早いか遅いかなら早遅関係とでも言うべきだろう。

人と人の関係性において上も下もない。それは大人と子供でもだ

先生は教える側で生徒は教わる側と言われそうだが、そもそも生徒がいなければ先生は必要ない。生徒がいるから先生ができる。だからお互いの関係性はイーブンだ。

親と子においても同じで、親が飯食わせて育ててる側と言われそうだが、頼んで産んでもらったわけではないし親が勝手に生んだのだから育てるのは責務だ。

そう考えると、人と人の関係性は常に対等であるし支え合っていて平等なはず。

大人より子供の意見が正しいことなんて当たり前にあるし、子供から学ばせてもらうことは山のようにある

それに、子供たちは本質を鋭く見ていて大人のように立場や肩書きに流されにくい。例えば、元プロのサッカー選手と聞けば大人は勝手にサッカー上手いと思いこむが、子供たちは実際にプレーしたらあんまり大したことないじゃん、と感じることだってある。

年齢や立場、大人や子供ではなくて、その人の思考や行動そのもの、表面じゃなくて奥にある本質を観て感じて、いいことなら評価されたり参考にされたりするし、そういうことが多ければいつか憧れや尊敬に変わっていくのだろう。

立場が必要なのか

人と人に上下関係は必要ないと思うが、それが必要なものもある。それは組織だ。グループやチームには意思決定をする人間が必要になり、そういう立場が必要になる。人が増えれば意見が割れることもあるし、みんなを一つの方向に進ませなければならない。

ではどうやったら手っ取り早くみんなが乗った船を動かせるか。

その答えは船長の指示通りに動く命令系統。つまり、団体スポーツも同じで監督の指示通りに選手を動かした方がチームを動かしやすいのだ。それは確実に一理ある。

だが、自分の考えは違う。

船長が指示を出さなくても船員が勝手に出港の準備を完了してしまう。船員全員が船長クラスの行動力と決断力を持つ。そんなチームを目指したい。

もちろんこっちの方が難しいし、理想論だと思われるかもしれないが、どうせやるなら理想を追いかけながらやった方が楽しいものだ。

立場は必要だけど、それによって組織全体の思考が停止するならあまり必要ないな。

一つ付け加えると、体罰問題であがるスポーツは団体競技が多いように感じる。データがあるわけではないし、あくまで個人的な感覚だけど。

勝者が評価される世の中

サッカーの現場では小学生も中学生も高校生も指導者の指示通りにプレーできなかった選手が怒鳴られている場面をたくさん見てきた。少年野球の練習を見れば、エラーした子が怒鳴られている。それが日本の日常であって、多くの指導者や保護者はそれが当たり前のことだと思っているのだろう。

過剰に怒鳴ったり、心を追い込むような発言をしたり、権力を振りかざして脅したり、そんなのは手を出してないだけで心への暴力ではないか。

練習のさせすぎ、オーバーワークで怪我をする話はよく聞く。朝練やってるのなんて世界中で日本ぐらいって聞くけど、そんな情報はあまり知られていないだろう。

サッカー以外のスポーツは分からないが、高校卒業とともにサッカーを辞める子は多い。そんなになるまで心身をすり減らして大好きだったサッカーから離れていく。そんな状態になってる子供が多数いる現状は正しいのか。

そんなことが頻繁に起きる原因。その根っこにあるのはいわゆる勝利至上主義

これが根っこであり、一番大きな問題だと思う。

質問です。

①全国大会優勝の強豪校
②県大会ベスト8の高校

サッカーやってたんですよ!って言われたときによりスゴイと思うのはどちらですか。大半の人は①を選ぶと思います。では質問を続けます。

①全国大会優勝の強豪校で3年間スタンドから応援
②県大会ベスト8の高校で1年生からレギュラーで3年生はキャプテンを務めた

こうなったら意見は割れるか、もしかしたらひっくり返るのか。個人的な意見は本人が一生懸命やった3年間であればどちらも素晴らしいと思う。

つまり、中身をしっかり見ずに表面的な部分で物事を見ている。そして、無意識のうちに勝利至上主義に足を踏み入れている可能性がある。

まとめ

書き続けていくうちにまとまりがなくなったように感じている。掘り下げたかった内容が薄かったり、逆に足しすぎたのかなと思ったり。需要があるなら第二弾にもチャレンジしますね。

最後になりますが、ほんとに怒鳴って怒られないと子供たちは動けないのでしょうか。そんなはずはありません。逆に言えば、怒鳴られないと行動できないような人間に育ててしまっている自分を見直すべきでしょう。

もっと子供たちを信じてあげて欲しい。大人の常識の範囲内に収めておくなんてもったいない。実際に体験して経験値を積めば子供たちはグングン伸びていきます。実際にVIVOの子らは自主的に行動できるようになっていきます。もちろん勝手にそうなるわけではないし、自主的な思考や行動力が備わるように試行錯誤していますが。

体罰は絶対的にダメなことだが、それを批判するだけでは何も変わらない。スポーツの環境だけでなく学歴に対する考え方だって一緒で、日本社会の風潮や考え方を見つめないと根本的な解決には繋がらない。その上で自分自身にできることをやること。こんなブログを書いたところで世界が変わるなんてことはないけど、でも誰か一人でも何かを考えるキッカケになればいいと思って書いてみた。

自分が成長してレベルアップすれば、必然的に子供たちもレベルアップできる。そのために行動して経験値をためる。よりよい環境を作っていくために今日も試行錯誤。今自分がしたいこと、するべきことは何なのか。いつだって矢印は自分自身に向けて。