必ず最後に〇〇は勝つ

さて、タイトルを見てKANさんの「愛は勝つ」が浮かんだ人

世代が近いかもですね。子供たちは何のこっちゃピンと来ないのかな

昔ばなし①

たまには自分の子どもの頃の話をしてみますね

1984年生まれ(あと半年ほどで40歳に)なので、小学3年生のころにJリーグが開幕

当時はクラブチーム自体がほぼ無かったから学校のサッカー部

学年3クラスぐらいの小学校だったけど、サッカー部は学年20人以上はいた気がする

(学年の男子の3分の1ぐらいがサッカー部だったってことなのかな?)

部活がない日も友達と集まってサッカーして

部活がある日も帰って近くの公園にボール蹴りに行ったり(夜遅くなって母が呼びに来る事もあったな)

夏休みとかは朝からサッカーして、昼メシ食ってからサッカーして、みたいに1日中サッカーしてた

もちろんそうじゃない日もあっただろうけど、サッカーばっかりしてたんだろうな~

そんな記憶が残っている

幼少期から超が付くほどの負けず嫌いで

幼稚園の運動会のかけっこで1位になれないと思ったら走るのやめたり

家族でトランプしては負けて泣いたりは何度もあった

そんな奴だったので、サッカーも当然負けるの嫌だから一生懸命やってたんだろう

昔ばなし②

6年生からサッカー部の先生が新しく変わったけど、何かを教わった記憶は残っていない

トレセンの担当とかしてた人だったらしいけども

記憶に残ってることで「インステップ左右交互のリフティングを100回できたらラーメン食べに連れて行ってやる」と言われて

クリアしたけど、連れて行ってくれなかった笑

小学校を卒業する頃はリフティング600回を超えてたけど

中学入って、別の小学校から来たやつが2000回超えてるやつがいて衝撃を受けたような記憶

小学校は池田小で、中学校は京陵中

学年8クラスあって、サッカー部は30人ぐらいいたのかな

当時、高平台小はサッカー強くて

小学校時代に一度試合して2桁近く取られた

で、そいつらと中学校で同じチームメイトになった

もちろん負ける気なんてなかったけどね

そんな感じで中学校生活が始まった

しばらくして迎えた1年生大会

AとBの2チームに分けられた記憶

自分の手応えでは全然Aチームだったんだけど

実際にはそうではなかった

(もしかしたら1チーム編成でスタメンじゃなかったのかもしれないけど、とにかく11人に入れなかった)

全然納得いかなかったし、おれより下手じゃんって奴がAに選ばれて。みたいな記憶が残っている

そして、そのときに先輩に「お前の方が全然上手いと思うよ」って言われたのも凄く記憶に残っている

昔ばなし③

その後の次の大会からは、3年生の最後の中体連までAチームのスタメンだったかな

同級生には小学生時代を含めると県トレ経験者が7〜8人いたのかな

その中から2人Jリーガーになってるし

競争力がすごく高かっただろうし、いい環境でサッカー出来たなって思う

サッカー部と野球部でグラウンドを分け合ってて

火曜日は野球部がメインで使う日で、サッカー部は走り込み

みんなで声をかけながら全力で必死に走り込んでたのを覚えている

小中学校時代はそんな感じの思い出

昔、保護者の方に「コーチはサッカー上手い人だから、出来ないウチの子の気持ちなんて分からないでしょ」って言われた事がある

ここまで述べた通り、まったく逆の話で

自分より上手い、自分より強い人がたくさんいた

頑張ってても試合に出れない経験もした

でも、サッカーが楽しくて好きだから

【自分のプレーを磨き続けた】

今となっては、その全ての経験が糧になっている

今の積み重ねが未来となる

今の上手い、下手なんてどうでもいい

今のチカラなんて数ヶ月後にはひっくり返せる

それは自分の身を持って証明している

サッカーを始めた時期もそれぞれだし

いわゆる成長期の時期もそれぞれだ

どれだけ上手くなりたいか、上手くなれるのかも自分次第

どれだけサッカーが好きなのか

最終的には想いの強さによって未来は変わる

だから、必ず最後に好きは勝つ